日本海海戦 基本情報日露戦争(1905年)

1905年5月27日〜28日対馬沖
【ロシア】バルチック艦隊vs【日本】連合艦隊


善良なる紳士淑女の皆様、ご機嫌麗しゅう。
私、大日本帝国海軍の一翼を担います戦艦、日向と申します。
今回、(何故だか)このような事態が生起し、(迷惑なことに)わたくしめにお鉢が回りましたので、不得手ながら講師を勤めさせていただくことと相成りました。
第1回目は、【日本海海戦】
これは、我等が大日本帝国海軍発足間もない折りに行われた、日清戦争に次ぐ【日露戦争】において展開された【一大決戦】です。
当時日本は、開国間もない【弱小国】でありました。
対して、周囲は強大な敵ばかり。
いつ詰られるか、いつ殴り込まれるか、戦々恐々以外のなにものでもありません。
現に、列強は軒並み自分に対して甘すぎる【不平等条約】を結ばせておりました。
弱きは強きに食い物にされると、痛感していたのです。
当時の【英国】は、正直【ロシア】【ムカついて】いました。
当時の【日本】は、本気で【ロシア】【ビビって】いました。
【敵の敵は味方】
【アジア南下を目論んでいたロシア】は、同じくアジアに植民地を持つ英国にとって、目障り窮まりないものだったのです。英国は考えました。
【よし!日本を当て馬にしよう!】世界のパワーバランスにおいて重要なファクターであった【英国】【月とスッポン同盟】を結んだおかげで、あの憎き【不平等条約も軒並み解消】するけとができましたが、それもこれも、猿まね劣等民の背後から睨みをきかせるユニオンジャック……じゃない、紳士たちの力添えに、他国が渋々倣っただけです。
いつなくなるやもしれない後ろ盾に安穏としてもいられません。
背後の盾も獣。
当の英国ですら、アジア、アフリカ、アメリカ大陸と、両手じゃ足りない程の配下を従えていたのですから。
こうして、半泣きであがき学んだ時代に、我が海軍の基礎は、師である英国によって築かれたに等しいでしょう。
英国は、この弱小国に、当時自国すら持たぬ【強力な剣】すら与えていました。
この時日本が、愛する保護者から授けられた【最新の軍艦・敷島型】を初めとした強力艦隊か、我ら【初めての連合艦隊】となったのです。
ピラミッドの頂点、翻る旗は旗艦に。
その名は【三笠】
苦心惨憺、結果的にはお化けのごとき力を誇った【大国ロシア】は、主力の一つである【バルチック艦隊】【日本海海戦】で食いつぶされ、それを盾に外交を有利に進めた日本側から敗者のレッテルを貼られて【停戦】に至った戦争です。
実は日本の方が危ない状態だったのは、あまり知られていませんが……。
この【日本海海戦】で、財政はボロボロ、【虎の子連合艦隊】にも軽微ならざる被害を受けて、それでも【屠った敵は大きかった】と歓喜に湧けど、【ロシアはいるよ、艦隊が!ヨーロッパ方面に!】これが怒って回航してくりゃ大変だ!
次こそ残存兵力注ぎ込もうと勝ち目なんかなくなるよ!

……さて、よくこの戦争と我らが大東亜戦争(後の太平洋戦争)の違いは何やらと問われますが、偏に【止める人がいたかいないか】でしょうか。
当時、日本側の裏工作に乗った【米国】が、【仲介役】を買って出て、ようよう事態を収めることができました。
故に、大国の第二の強力艦隊に、ほうほうの体へトドメを刺されず終戦に持ち込むことができたのです。
【完全なるめった打ちではなかった】ので、【賠償金】そのほか【分取れず】、莫大な戦費の補填ができずに【財政は悪化】しますけど。
しかしながらこの事件は、【有色人種】【白色人種】を打ち負かした稀有な例で、白人諸国に虐げられていた【カラード】たちに【希望を与えた】のも真実でした。
そのため、白人優位を持ち続けたい諸国に【後々睨まれる原因】となるのですけれど……。
この時旗艦であった三笠は、様々な時代的危機をくぐり抜け、現代も記念艦として海軍の街横須賀に保存されております。
日露戦争の背景、経過について知りたい方は、司馬良太郎氏の『坂の上の雲』がお勧めです。
NHKで映像化もされました。
字ばっかりで面白くないとおっしゃる方は、『日露戦争物語』なんかはどうでしょうか。
こちらは漫画で読みやすいのでは、と。



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