真珠湾攻撃WWU(第二次世界大戦)太平洋戦争(日名:大東亜戦争)

1941年12月8日ハワイ 真珠湾

皆さん、今日和。
日向です。
今回は、【真珠湾攻撃】のお話。
【真珠湾】は、【アメリカ】【ハワイ島】にあり、【アメリカ軍太平洋艦隊主要軍港】として知られています。
このハワイも元々独立国であり、アメリカから吸収され一州にされてしまったという歴史もありますが、何はともあれ、太平洋の東(アメリカ寄り)に、ポツンと浮かんでいる島です。
ハワイは、特に【日系移民】が多く、今でもサトウさんやらスズキさんやら日本名を持つ現地の方が多いのも特徴です。
アロハシャツも、日系移民が着物から作り出したのが始まりとか……。
当時の世界情勢は、【絶妙に微妙】でした。
アメリカが引き金を引いた【世界恐慌】によって、世界的に【金融が悪化】
英国をはじめ、【列強国】は揃って【門戸を閉ざしました】
例としますと、「英国及び、属国のみ」による政策、イクォール、【パクス・ブリタニカ】と呼ばれるそれです。
いわば、【金外に出したくないから、身内でしかやり取りしねぇぜ、おとといきやがれ】政策。
この【時勢に乗れず、危機にひんした国】……それは、植民地を持たぬ【日】【独】【伊】各国でした。
この国々は、アメリカのおかげで【財政は破綻寸前、他国にまで締め出しを喰らっては、どうやって生きていけばいいの!】状態。
【植民地に食わせて貰える身分とはちゃうんよ!】これが、かの有名な【三国同盟】に繋がっていくのですが……。
当の【米国】は、広い国土のおかげで何とか食べることはできたのですが、【失業者は溢れ、国内は不満でパンクしそう】でした。
不満の矛先が向いたのが、当時【支那(中国)大陸展開中の日本軍】だったのです。

さてここで、例え話をひとつ。
当時日本には、双子の兄弟がいました。
帝国陸軍と、帝国海軍です。
彼らは、日本という根っこは同じでしたが、師事した父親が違いました。
海軍は英国に、陸軍はプロシア(ひいては独逸)を父としていたのです。
海軍は、英米に軍人を派遣して、たくさん学びを得ていたので、双方の実力は察していました。
【勝てる訳がない】と断じていたのです。
しかし、陸軍も狡猾です。
【米英国と戦火を開きたい日本陸軍】は、様々な手を使って、【米国に挑発】をかけます。
怒った【米国は中国方面に艦隊を派遣】します。
身内の策略と知りながら、【海軍は邦人保護のため、艦隊を派遣】します。
半ば【最悪の三つ巴】
そこで米国は攻撃を日本に定め、様々な【締め付け政策】を行います。
【収容所】を作ってみたり、【国籍剥奪】してみたり……。
その最終形態が【ハルノート】
日本への【諸物品輸出禁止】を唄ったこの文書を手に、海軍もついに【開戦を決意】します。
このままだと、諸国に食いつぶされる。
当初、この作戦の発案者だった山本五十六は、「宣戦だけはとにかく出せ。奇襲にはするな」と日本政府に食ってかかりました。
とにかく、【宣戦さえ出してしまえば正当性は出せる】という訳ですね。
しかし、歴史の中で、日本は【卑怯な奇襲国】となってしまいました。
何故?
実はその日、【米国の日本大使館】では、職員の送別会が行われていました。
本来なら、最低一人は残すべき職員が、【一人としていなかった】のです。
政府から厳命されていたにも関わらず!
無人の大使館へ届いた【宣戦布告書は米国政府に通知されることはなく】、日付は変わり、ハワイの空が赤く染まると、職員は青ざめなければなりませんでした。
しかしこの事実、外務省の必死の努力により、【判明したのは1990年代に入ってから】だそうですよ。
こうして、望まぬ奇襲によって卑怯で野蛮なレッテルを貼られた劣等民と、【リメンバー・パールハーバー】を合言葉にした怒れる大国との一大決戦が幕を開けたのです。
ドント・フォゲット(忘れるな)より深い呪いの言葉は、日本を泥沼へと引きずり落とすことになりました。




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