榛名日記・壱【マレー沖海戦編】
               



僕は、1915年、この世に生まれました。
兄は2人、4人兄弟の3番目。
うち、一番上の兄はイギリス生まれで、順に1年ずつの年子でした。
僕と1番下の弟だけが殆ど同時期生まれで――何故そんなことが可能だったかというと、僕らは人間じゃなかったからです。
一番上の兄いわく、僕たちは亡霊と。
一つ上の兄いわく、僕たちは霊魂としての存在――精霊だ、と。
とにかく人ならざる何かなのだそうです。

12月、僕と一番上の兄ちゃんは第ニ艦隊にいました。
南方に展開する部隊です。

(比島蘭印マレー攻略作戦)

きらきらする南十字星を見ながら、何も知らされず首を捻りながら北へ旅だった兄と弟を思って、毎晩無事を願いました。
どうかあの子たちが寒さで苦しみませんように。
何があるかは知らないけれど、怪我なくまた会えますように。

――この頃、一つ上の兄【比叡】と弟【霧島】は、集合地である択捉島を発って、遥か東、ハワイは真珠湾に向かっていたのですが、僕はもとより、連合艦隊旗艦ですら知らなかったのですから、不安がっても仕方がありません。
僕たちはWW1から生きている、乗員いわくのお婆さんなんだもの。
一番上の兄ちゃんには、主力部隊で全般を支援するよう命令が下りました。
僕はその時、摩耶ちゃんと駆逐艦と一緒に、ルソン島の方にいました。
直接、上陸制圧作戦を支援するためです。
こちらは、陸軍の援護でした。
何故二部隊に分けたのか――この辺りには、イギリス海軍の拠点がありました。
シンガポールです。
極東艦隊。
彼らは、そう呼ばれていました。
僕らのかつての同士――現在の敵。
WW1から生きている僕らとしては、見知った顔もちらほらあって、英国生まれの兄ちゃんは特に苦々しいものもあったようですが、そこは致し方ありません。
彼らが、我が愛しき国を害すならば、例え同胞であろうと出て行くのが僕らの役目。
お上は、情勢の緊迫に伴い派遣されてきた最新鋭艦の存在を知っていたのです。
もしも、もしもこの最新鋭艦とやらが、噂に名高い《キング・ジョージ型》だったりしたら……。
何せ、砲の射程が違います。
こちらが届かない遥か彼方から、どーん!と撃って、沈められるなんて許容できやしない。

8日、(遥か東で機動艦隊の護衛をした比叡と霧島が劇的な朝を迎えた日)
僕らは南シナ海で開戦を向かえました。
陸軍がフィリピンとマレーシアに上陸を始めたのです。
気掛かりなのは、いつでも敵戦艦――

9日、味方潜水艦が、戦艦を見つけました!
サイゴン、S300マイル!
僕たちの方は――兄弟は勿論、各隊バラバラになっていました。
一番近いのは、南遣艦隊と名付けられた鳥海たちです。
距離にして160マイル!
急いで反転、南下を開始します。
しかしながらこの南遣隊、巡洋艦を主体にした部隊です。
敵は、戦艦が2隻。
同じ戦艦である僕たちですら差し違えて勝てるものやら……。
兄ちゃんが属す部隊も、直ぐさま行動を取ります。
南遣隊に、「お前ら、早まるなよ!」と釘をさしたのです。
南遣隊を指揮していたのは、猛将されど血の気の多すぎる奴でした。
やっべー、こいつは、戦火を切るぞ。
兄ちゃんは、大急ぎで口止めをして、南遣隊に合流したのだそうです。
さぁ、こちらも戦艦だ。
たった1艦、しかもかなりの高齢だがやるときはやってやる。
しかして火ぶたは切って落とされるか――と思えば、お互い見つけることができぬまま、10日になりました。
兄ちゃんたちは24ノットの高速で南下を試みていましたが、ついに諦めてしまいます。
もういないよ、シンガポールに帰っちゃったんだ。
皆そう思い初めていたそうです。
僕はただ、皆が躍起になっている遥か北で、はらはらしていただけでした。
この後敵艦隊は我が軍索敵機によって発見、陸上基地から殺到した航空機によって沈められてしまいました。
血の気の多い乗員たちは大いに憤慨していましたが(何せ、戦艦には戦艦で応じることが通説になっていたのです)、僕らの胸には一物の不安が舞い降りていました。
なんでこんなに、簡単に沈められてしまったのか?
相手は、戦艦だというのに。
考えど考えど、解るわけがありません。
僕たちの領分ではないのです。
まぁいいや。
ちょっと悔しいけど、手柄には違いないんだもの。



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